第8回
『海辺のカフカ上下』 村上春樹
久しぶりの村上春樹の長編。紙質が変わった。
高校の頃、
小学校の時転校していった女の子との文通に使っていた紙質と同じで懐かしかった。
薄いので同じハードカバーの例えば古井由吉の『白髪の唄』より薄い。
薄いと言うことは、ぼくはこの手の本は寝る前に布団の中でしか読まないので、
目に近くなくて助かる。
紙質が変わって蓮見重彦の『小説から遠くはなれて』を思い出して、頁単価を出してみた。
下巻429頁、1600円=3.7円とやはり4円の小説家であることは、
蓮見学長の指摘したままであった。
『小説から遠くはなれて』が出版されたのが、
世紀末について語られ始めた頃のことだから15年は経つことになる訳で、
ここでも出版業界におけるデフレについて考えることができる。
そしてマクドナルドが低価格を武器に
ハンバーガーファーストフード業界を席捲しつつある時代でもあった。
そうして、ぼくらは気軽にお洒落な小説を読み、ドライブスルーでハンバーガーを買い込んで、
コンビニな時代を謳歌した。
古井由吉には『杏子』という代表作がある。
あくまでも私的な見解。ぼくはこの人の短編が好きで『夜の香り』がお勧め。
村上春樹の『納屋を焼く』とかの短編と通じる所があるように思う。
短編小説というもの自体がそうかもしれない。
短編で最高だと思うスローの『世界の果て』もそうだし。
あるいはぼくの嗜好や読みがそうなのかもしれない。
こないだゲクランの友達のママに
――さっきから"あれ、あれ"って言ってるけど、あれってなぁに?――って指摘された。
で、"そう"ってなに?って問われると話がややっこしく、長くなるのでやめる。
ちなみに古井由吉の『白髪の唄』は1996年発刊で384頁 1,900円 頁単価5円。
『神の代理人』 塩野七生
ルネッサンス著作集が出たこともあって、編集者に頼み込まれたようなエッセイを別にすれば
唯一読んでなかったので、買って読んだ。
塩野七生のルネッサンス観がマキアヴェッリに収斂していくのが良くわかる。
『青の美術史』 小林康夫
子供の頃、地中海の青に魅せられた。
よくは思い出せない、というのはほとんど同じ時期に、
ツタンカーメンのマスクの黄金に対するラピスラズリのウルトラマリンブルーと
ベルベル人の白に対する海辺の風に膨らむ
四肢の布地、あるいはエーゲ海の・・・。
それから晴れた日の日没直後、一瞬の緑と宵闇の茜藍。
人がこの波長450~480nmの電磁波の美しさを知るためには、
気の遠くなる偶然と必然をへて、夕暮れの寂寥に向かわなければならない。
そう思う時、あまた全て森羅万象を受け入れることができるような気がしてくる。
M・フーコーは『言葉と物』の終わり近くで、語るのは誰かと問うたあと――
賭けてもいい、人は砂に書いた絵のように滅びる――と言っている。
恐らくはそうだ。宇宙も同じように滅びるのだろうか。そして何が残るのだろうか。
出版元 ポーラ文化研究所 ISの本シリーズ
小島祐二