こういって良ければ恐らくは文様なるものが生じた理由があるとすれば
人の目に映るもので真に空白などあり得ず ものは 遠くも近くも それぞれの光彩を放ち
幾層にも重なりあっているという 当然といえば当然の事実からだろう
人の目に映るものが 偏在する光の反射の認知の有り様 或いは 再認知であるとするなら―――
厳密に言うと 新生児でもなければ 目に映るもので全く不可知であるものがあるはずがない―――
―――ものの見方として 既に文化である
おおよそ ものが目に見えるとはそのようなことだ
人は必要に駆られ 自ら創り出した空間に欠如を見て取り
その居心地の悪さを 畏怖や喜びに
もう少し言って良ければ祈りのようなものに置き換え 埋め合わせきた
やがてそれらは絶えず変化してゆく形の表象 或いは物語化された出来事から
創作物が多種多様化し
また複雑に大型化することによって形式を見るようになる
たとえば神格化した動物達 葡萄 アカンサスのような植物の表象
また記号化された線分の発明は 表わすことによって隠された別のものを指し示す象徴となる
美学的に言えば接木可能な意志
―――或いは図形 花 葉 特に茎の解釈における見かけ上の奔放さと
線の理想的な活用における厳密な幾何学―――であって 描写を明快かつ厳密に
超越したもの
表象でなく主題を無限に繰り返す事によって生まれる総合と収斂となる