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2007年05月 アーカイブ

2007年05月16日

第18回 沿線駅ビルの本屋で蓮見重彦と柄谷行人を同時に買う――リハビリ進まず

最近よく外出する

で つい本屋によることになる

目当ては堀出し物のサスペンスもの 

ぼくはまだ 15 年ぐらいの若輩ものなので 探すといろいろある

乗り降りする駅ビルの本屋には出かけるたびに入るので 

文庫の棚が新しくなっていなければ やることがなくなるので

次いでだからと 新書のコーナーに向かう 前の大半を占める雑誌コーナーには 

もう既についていけなくなっているので 近づけない

で 佐藤賢一や加藤廣の横に中澤新一や若菜みどりがいたりして 

また ロレンス・ダレルやジュリアン・グラックがソフトカバーで

再販されていて出版業界の一端を感じたりする  

まぁ ダレルの―アレキサンドリア四重奏―は始めの―ジュスチーヌ―しか無かったりする訳だけれども

そんなふうにして 蓮見重彦と柄谷行人を買った

どうだろう 学生時代同時に買ったことがあるだろうか と思いつつ何だか懐かしかったりした

蓮見先生は日経のスポーツ欄を担当されていて なかなか楽しい


それと 出版されるたびに積み重ねられている池田晶子の本がある

この人は随分昔に仕事を終えて帰ってテレビをつけたら―朝迄生テレビ―をやっていて 

藤原正彦や西尾幹二に

――幸せってなんですかぁ?――とだるそうに質問していたのが 印象に残っている

それから また見ることを期待していたが 出演がつまらなかったのか 

同じ番組には出なかったようなので チェック から外れていたが

いよいよ埴谷雄高がなくなるのではないかという時に 

対談が出て なんで?というか嫉妬?してしまった

それから ソフィーやらと相まって  ベストセラー 作家になって遠く 離れた 存在になってしまっていたが 

いつかは まとまった論考が出るものと期待していたが 感慨深くページをめくった


最近はと言うと 良く仕事をしている

仕事 と いうとぼくの仕事は ジュエラーなのでデザインをしている 今年は例年になく多い

ずっと店舗スタッフに要請されていたシルバー地金リング 第二弾である

龍のリング 群雲のリング 独鈷のリング

龍は子供の頃から 長崎の“おくんち”で金の玉を――くれよ くれよ――と練り回るのがいじらしく可愛い 

一度やらせてもらいたい 

それから 泣いているような 笑っているような 北斎の龍  キーツに良く似ていると思う

元々は水の精で荒川を表象していて 農耕の神でもある  

農耕国家として文明を築いて来た中国王権を現している

日本も含め朝貢国家は中国王朝に敬意を表して 龍の爪は3本爪である 

随の煬帝のように治水は国家繁栄の礎であった

治水されて可愛くなった龍が好きだ  

二人で“白”が苦しんでいるシーンではキーツが苦しんでいるようで涙が出てしまった

龍が雨上がりの虹で紫に染まって群れて湧き上がる雲の上で 

くねくねと玉を追いかけ 独鈷の輪がチリンチリンと鳴り

そんな空の下で犬達と草の上で昼寝でもして微睡みたい  

多少地面が湿っていたって構わない


最近は一段と忙しくなってしまって本が睡眠導入剤のようになってしまって久しい 

とは言っても 塩野七生の“ローマ人の物語”には敬意を表したいし 

“風の影” ? カルロス・ルイス サフォン―のプロットはともかく文中引用には 逐一しびれるものがあったし 

なんと言っても ―ダン・シモンズ―“イリアム オリンポス上・下”3部作である 

今回は“イリアム”から“オリンポス上・下”まで翻訳が早かったので 

“ハイペリオン”4部作ほど混乱せずにすんだ 5年ぐらいかけて刊行されたと言うわけで 

ベットの下にはキーツとイプーの毛を被った SF  サプペンス ハードボイルド

―といってもチャンドラーしか読まないが―

貯まってしまっている

と言いつつ養老先生の―もうおしまい!の―“超バカの壁”や“99%は仮説”で人を煙に巻いたりして 

なんともいい加減な読書生活ではある


が しかし 上の2著作を既知の事で余計なお世話であると お考えの人は 

ロジャー=ベーコンのイドラやウイリアム=ウォカムの剃刀を踏まえて“普遍論争”について思いを巡らし 

ディヴィット=ヒュームの不可知論を訪ねてはどうか

恐らく浜辺で座礁しかけている多くの知と言えば言えるようなものの隣に自らの“砂 ” を見出すのではないか  

まぁ 余計なお世話ではある

そのようにカントは微睡みの中でヒュームのうなり声を聞いたはずだ

埴谷雄高が“想う=思索”と言う時はこのような所作を指しているのだと思う

ぼくはうめきに口を押さえたヘーゲルの布に 唾液に混じった血の匂いを 吉本隆明のようには嗅がない

ただ例えば 雨上がりの美しい夕日を見れなくなる日が来るのが悲しい

また この美しさを感じる心と その美しさ自体がなくなってしまうのかと思うと 

時としてうめき声を上げたくなってしまう


――人は病気で死ぬのではないのです 生まれて来たから死ぬのです――池田晶子

いつか読もうと思っていた

美しいうめきだと思う


2007.05.16

小島祐二

 

2007年05月28日

第19回 書讀犬亡 ――“レポート”を読んで“犬”を失う――あるいは 2 ボルゾイ忘主散歩 リハビリは進みつつあるか

講義と大学の行事(浜村の掃除をして砂のオブジェを作り 

そして砂に戻す)を終え 4日ぶりに帰宅して子供達の熱烈歓迎を軽くいなして 

あまりご機嫌の宜しくないまゆり様には早々に 帰って 寝てもらって 

明け方迄 学生達から回収したレポートをファイルに納めながら添削と採点をした

レポートを課題として提出させると  32 倍の仕返しが待っている

で 追筆や再提出の仕返しをすると またそれだけの仕返しが待っている 堂々巡りではある

最近は夕方が長く明るくていいのだけれど 

夏至も近くすぐ夜が明ける とむかつきながら PC を閉じて

見張りを要するヴぃよんは 傍で痙攣しながら白目を剥いて寝ていて 

といっても PC を閉じる音に直ぐに反応する訳で

中庭で涼んでいたキーツとイプーを探すと いない  門が開いている 

さっき排泄させたときは閉まっていたはずだが が 何処にもいない

で 外に出て見回すが 辺りには気配がないので 

慌てて自転車で散歩コースの西は砧公園から東は馬事公苑と渦巻き状に中へ 

また外へと  浜村の 砂掘りで疲れた足腰で駆け回った 

これって 空間デザイン論で意地悪く宣うたプラトン立体の正四面体の渦巻きではないか

仕返しではないのか バチ??? で いない  目がチカチカしてきて

じっちゃんのキーツがそんな遠くに出かけるはずがないじゃないかと 

訳がわからなくなって  110 番した

―はい 警察です 事故ですか 事件ですか

―いえ あのう 犬が、、、、 門があいていて 犬がいなくなってしまって 

  そう言う情報が届いてないものかと

―どちらに お住まいですか  ここで張りつめていた声のトーンが親密なというか 

  同情的な響きが広がる

―上用賀です 

―それなら 所轄の警察署の電話をお教えしますから メモをお願いします  親切である

―もしもし 犬がいなくなって 情報がない か と電話したんですが

―ああ 先ほど世田谷署の方から アフガンを保護したので問い合わせがないか 

  連絡がありましたがアフガンですか

―いえ ボルゾイですが  よく混同されるので  2 頭で白ければ家の 子達 です

―じゃ 世田谷署に問い合わせてみてください メモは良いですか。。。

―もしもし 世田谷署の方で犬を保護されていると聞きまして 電話しているのですが

―はい 先ほど保護したようです

―アフガンらしいとの事でしたが 白いボルゾイ2頭ではないですか

―あれは ボルゾイですか 

―ええ 鑑札は着けていないのですが 迷い子札を着けていてキーツと言います ありますか

―ここにはいないのでね でも白い2頭ですよ

―それなら家の子達です すみません今から引き取りに参りますので 宜しくお願いします

―はい 場所はご存知ですか 

―はい  246 沿いの三茶の手前を入った所ですよね

―そうです

という訳で お巡りさんに聞いた所

キーツとイプーはアトリエから 30 メートル先の公園を 彼らだけで 散歩中 

御用となりパトカーの犬となったのである

夜明け前とは言え  この近辺の幹線道路である用賀中町 道路を横断したなんて

―横断歩道はあるが―ぞっ!としてしまう

ぼくはよたよた歩くキーツをかばって 

車に体当たりする夢に飛び起きることが ままあったりする


で 着いてみると  5-6 人のお巡りさんに囲まれて しっぽを揺らしているのを発見

―良く言う事聞きますね 車好きですね  ずっと大人しく付いてきましたよ  

  車でよく出かけられているのですか 

―はい ありがとうございます     ――じゃないよ――  

―良かったねぇ? 迎えに来てもらって いい子達ですね

―はぁ どうも お世話 を おかけしてしまって、、、  ――逮捕されたのに?――


と すっかり夜明けとなってしまった

いやはや なんと言うか 良かった―まゆり様に 先に帰って 寝て頂いていて―何もなくて 

と言うか まったく 油断していて 飼い主失格である  運がついていた 

もしかしたら ゲェー (ゲクランのことを僕たちはそう呼ぶ) かぁ??とも思ってしまう  

先日のヴぃょんと言い


で 犬について 少し考えた


昨年ぼく達にとっては大きな事件があった

あるドックパークが倒産して 大量の犬達が放棄された

それに続き そのレスキュー活動の顛末で紛糾した

その事は レスキューのあり方に深い傷を残した思う

犬達は何処かで次々と生まれ 次々と死んでいく――みなが悲惨だという訳ではない 

犬の生涯は人と比べ圧倒的に短いからだ


飼い犬は人に最も寄添って生きている動物である

しかし実は  犬飼(犬に付帯して利益を得ようとする人を含め) が最も寄り添っているのであって 

経済学的には 不合理な行動をしている頭の悪い人たちである と言うことになろうか

有益性でみれば人間に寄り添って(無理矢理も含めて)生きる他の動物に比べ 

圧倒的に手間がかかり かつ 他に比べ有益性の経費対効果は 驚くほど低いどころかマイナスである

犬自体ででは儲からないのである 

そこで 付帯して利益を見出す訳だが どうしても歪んだ形をとってしまう――

とても正常とは思えない


しかし 一度暮らし始めると もう 止(や) められない

そして 犬の生涯は恐ろしく短く だからこそ ぼくたちは一層いとおしく思うし

ぼくはゲクランと暮らし始めた日から ゲクランを抱いた温もりのうちに その別れに戦いた


この経費対価の低さに犬にまつわる個々の不幸があるはずであるが 

野生動物達が絶滅していくなか こうも種として繁栄している動物もいまい

遥か大昔に強かに人に近づいて虜にしたように 強かに生き抜いて欲しいと願う


2007.05.28

小島祐二  


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