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第19回 書讀犬亡 ――“レポート”を読んで“犬”を失う――あるいは 2 ボルゾイ忘主散歩 リハビリは進みつつあるか

講義と大学の行事(浜村の掃除をして砂のオブジェを作り 

そして砂に戻す)を終え 4日ぶりに帰宅して子供達の熱烈歓迎を軽くいなして 

あまりご機嫌の宜しくないまゆり様には早々に 帰って 寝てもらって 

明け方迄 学生達から回収したレポートをファイルに納めながら添削と採点をした

レポートを課題として提出させると  32 倍の仕返しが待っている

で 追筆や再提出の仕返しをすると またそれだけの仕返しが待っている 堂々巡りではある

最近は夕方が長く明るくていいのだけれど 

夏至も近くすぐ夜が明ける とむかつきながら PC を閉じて

見張りを要するヴぃよんは 傍で痙攣しながら白目を剥いて寝ていて 

といっても PC を閉じる音に直ぐに反応する訳で

中庭で涼んでいたキーツとイプーを探すと いない  門が開いている 

さっき排泄させたときは閉まっていたはずだが が 何処にもいない

で 外に出て見回すが 辺りには気配がないので 

慌てて自転車で散歩コースの西は砧公園から東は馬事公苑と渦巻き状に中へ 

また外へと  浜村の 砂掘りで疲れた足腰で駆け回った 

これって 空間デザイン論で意地悪く宣うたプラトン立体の正四面体の渦巻きではないか

仕返しではないのか バチ??? で いない  目がチカチカしてきて

じっちゃんのキーツがそんな遠くに出かけるはずがないじゃないかと 

訳がわからなくなって  110 番した

―はい 警察です 事故ですか 事件ですか

―いえ あのう 犬が、、、、 門があいていて 犬がいなくなってしまって 

  そう言う情報が届いてないものかと

―どちらに お住まいですか  ここで張りつめていた声のトーンが親密なというか 

  同情的な響きが広がる

―上用賀です 

―それなら 所轄の警察署の電話をお教えしますから メモをお願いします  親切である

―もしもし 犬がいなくなって 情報がない か と電話したんですが

―ああ 先ほど世田谷署の方から アフガンを保護したので問い合わせがないか 

  連絡がありましたがアフガンですか

―いえ ボルゾイですが  よく混同されるので  2 頭で白ければ家の 子達 です

―じゃ 世田谷署に問い合わせてみてください メモは良いですか。。。

―もしもし 世田谷署の方で犬を保護されていると聞きまして 電話しているのですが

―はい 先ほど保護したようです

―アフガンらしいとの事でしたが 白いボルゾイ2頭ではないですか

―あれは ボルゾイですか 

―ええ 鑑札は着けていないのですが 迷い子札を着けていてキーツと言います ありますか

―ここにはいないのでね でも白い2頭ですよ

―それなら家の子達です すみません今から引き取りに参りますので 宜しくお願いします

―はい 場所はご存知ですか 

―はい  246 沿いの三茶の手前を入った所ですよね

―そうです

という訳で お巡りさんに聞いた所

キーツとイプーはアトリエから 30 メートル先の公園を 彼らだけで 散歩中 

御用となりパトカーの犬となったのである

夜明け前とは言え  この近辺の幹線道路である用賀中町 道路を横断したなんて

―横断歩道はあるが―ぞっ!としてしまう

ぼくはよたよた歩くキーツをかばって 

車に体当たりする夢に飛び起きることが ままあったりする


で 着いてみると  5-6 人のお巡りさんに囲まれて しっぽを揺らしているのを発見

―良く言う事聞きますね 車好きですね  ずっと大人しく付いてきましたよ  

  車でよく出かけられているのですか 

―はい ありがとうございます     ――じゃないよ――  

―良かったねぇ? 迎えに来てもらって いい子達ですね

―はぁ どうも お世話 を おかけしてしまって、、、  ――逮捕されたのに?――


と すっかり夜明けとなってしまった

いやはや なんと言うか 良かった―まゆり様に 先に帰って 寝て頂いていて―何もなくて 

と言うか まったく 油断していて 飼い主失格である  運がついていた 

もしかしたら ゲェー (ゲクランのことを僕たちはそう呼ぶ) かぁ??とも思ってしまう  

先日のヴぃょんと言い


で 犬について 少し考えた


昨年ぼく達にとっては大きな事件があった

あるドックパークが倒産して 大量の犬達が放棄された

それに続き そのレスキュー活動の顛末で紛糾した

その事は レスキューのあり方に深い傷を残した思う

犬達は何処かで次々と生まれ 次々と死んでいく――みなが悲惨だという訳ではない 

犬の生涯は人と比べ圧倒的に短いからだ


飼い犬は人に最も寄添って生きている動物である

しかし実は  犬飼(犬に付帯して利益を得ようとする人を含め) が最も寄り添っているのであって 

経済学的には 不合理な行動をしている頭の悪い人たちである と言うことになろうか

有益性でみれば人間に寄り添って(無理矢理も含めて)生きる他の動物に比べ 

圧倒的に手間がかかり かつ 他に比べ有益性の経費対効果は 驚くほど低いどころかマイナスである

犬自体ででは儲からないのである 

そこで 付帯して利益を見出す訳だが どうしても歪んだ形をとってしまう――

とても正常とは思えない


しかし 一度暮らし始めると もう 止(や) められない

そして 犬の生涯は恐ろしく短く だからこそ ぼくたちは一層いとおしく思うし

ぼくはゲクランと暮らし始めた日から ゲクランを抱いた温もりのうちに その別れに戦いた


この経費対価の低さに犬にまつわる個々の不幸があるはずであるが 

野生動物達が絶滅していくなか こうも種として繁栄している動物もいまい

遥か大昔に強かに人に近づいて虜にしたように 強かに生き抜いて欲しいと願う


2007.05.28

小島祐二  


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2007年05月28日 13:38に投稿されたエントリーのページです。

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