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第13回 引き続き模様替えにて

模様替えは兄の上京を無事通り過ぎて 後は階段下の納戸の整理と寝室押入れ下段のダンボールの
後始末を残すのみとなった
従って兄は自宅へは足を運ぶことなく アトリエブティックの2階にエア式の簡易ベットを持ち出して
悪いこと をしてしまったが 昔から年が離れていたせいか可愛がってもらっていたにもかかわらず 置いてきぼりに
癇癪を起して石を投げつけて眼鏡を割ったりして 未だ既に 悪いままだ
そのうえ何だか最近似てきたように感じていて 美也子に指摘されていやな感じだったし
好きな写真のひとつに縁側でハイハイしていたのか 捕まえられて兄の膝の上でおもちゃの刀を
振り回しているのがあるが どう見ても兄の方が大人しそうで品があって可愛い
しかし 弟とはよく言ったもので 何か頼まれるとつい自然に体が動いてしまう


納戸は釣り道具とかのアウトドアギアなので捨てるかグルニエにあげればよいが 約半軒分のダンボールには
何が入っているか解らず ないなぁ~と思っている筑摩版ドストエフスキー全集が出てきたら困ってしまうが 
アトリエブティックの書棚に引き取ってもらうとして 問題3頭のカメの家だ
3年も飼っていると ご飯の時には寄って来て手から食べるようになるし だいいち体重が10倍になってしまった
青梗菜が好物で草しか食べないのに不思議ものだ
という訳で1階には180センチのソファーが入り いまどき実に珍しく所狭苦しい8人家族である  
一人増えた?
で先日『ワンピース』の新作がそろそろ出てる頃なので蔦屋に行って 他に気になっていた新作もあったので借りた
『ワンピース』で元気をもらった後 『世界の中心で愛を叫ぶ』を見た
まゆりが――これが"セカチュウ"なんだ というので
これってそう呼ばれているんだと知った と同時に『自己中』と言うコトバが浮かんだ
最初にこの小説の題名を見たときそのコトバが浮かんだ
何故そう呼ばれるのか 考えてみた


小説は読んでない 
ただ"世界の中心"と言うコトバが気になっていた
世界 中心といったコトバは認識論的にも記号論的にも両義性を持ち その解決法として存在論的に認識しようとして 
物象化していまい容易く超越性を帯びてしまう
多くの人が 存在論であったはずのものを実在論で論じてしまう そのことに気づかない
誤解しないで欲しいぼくはここでフッサールの現象学的還元や存在の形式について言っているのではない
少し難しくいったかもしれない
認識論的に疑わないならば 他者を客観的に捕らえようとしても自己に投影させるしかなく
自己の志向性の対対称群の複眼のような鏡を見ているようなものだ
確かにトンボの目は不思議で美しく しばしうっとりさせくくれるのもがある
なるほど"セカチュー"とはよく言ったものだと思う
つづく


2004年12月15日

小島祐二

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2004年12月15日 13:30に投稿されたエントリーのページです。

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