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第21回 フーガ的呟き―パリ祭にて あるいは結婚記念日

前々回はちょっと犬について考えてみた
経済学的に言うと犬飼は全く愚かな事をしていると書いたが
全く愚かである
と言うのは 経済学が想定してきた人という概念は
不合理な行為をなし得ない人であり
たとえ不合理に陥ったとしても神の見えざる手がついには働くという
神学的な面を引きずっていた
それは ゲーム・確率理論や不確定性をもとにした 
論理経済学にしても 現実の諸現象に敷衍する人たちの根底には 
見え隠れしているように思われる
巷では平然と ピザを6切りにするか8切りにするか 
的な理論が横行していて 一向にそれがやむ事はない
ちなみに ぼくは腹が減っていようがいまいが 6切りの方がいい

このところ よく思う事だが 真に支持者する人たちが一段といない
あるいは 社会的に無言にしてはいても それを温め慈しみながら
日常の規範としていた人達の層がいなくなったのではないだろうか
改まって問われて おもむろにはにかむように 答えるという
にも関わらず 消費されていく
消費は効率を求める競争でもあり その根拠は利己性にあるはずだ
人は利己的であるというのは その通りである
が 利己的な事自体は悪い事ではない
そもそも利己的な感情をもとにその感情の多様性によって
人類は繁栄してきたのだから

しかしながら 利己的なところに競争が介在しているのが 
猿人以来の我々の世界である
ぼくはいわゆるサブカルチャーというコトバが嫌いだし
その括り自体が理解できない
そもそもサブカルチャーとは生活そのものの愉しみである訳であるから
小さくも大切な日々の幸福であり また内に日々沈殿していく齟齬(疎外)
を攪拌して ブラウン運動のようなものに換え
本来 明日を希望させるべきものである

思うに ぼくはヴァルター・ベンヤミンにサブカルチャー論の初現を見出すが
ジェルジュ・ルカーチはベンヤミンを読んでいたか 知っていたはずだ
ルカーチは藝術にも上部・下部構造をみて 下部の文化構造の活性化を説いたが
そのときの下部構造とは 例えば口の回らない頃から論語などを
親の口から音読させられた人々や
勧進帳の台詞と所作をその筋を時代背景と供に暗記して
子供たちにその真似をさせる人達のような層を想定しているのであって
それは庶民的でのよくある家庭の一風景だった
就職してデベートやコーチングの根拠としてその口語訳に触れたり
マニュアル本を片手に観劇する人達ではない

その時代のエピステモロジーの枠内では 本来サブカルチャーが
凡そ体系化された学説や最新の理論など敷衍できようもないが
そもそもサブとはそのような役目を持ち得ない
今日 前面に立ったことでマネタリズムに晒され連続性を断たれた
サブカルチャーがその消耗した知的深度と物理的制度のもとで
どのようなシャッフルと循環が行なわれるのだろうか
個人的にはルーズソックスとシャネルのポシェットのミスマッチには
期待を寄せていたが
学生の頃 サブカルチャーで特権的地位を占めていたのが
映画とファッション あるいは宗教とロマン的マイナーだった
映画とファッションは身体論であり
宗教は改宗を迫る以上これも身体的であり 
ロマンとは身体的行為に他ならない
また いずれも反語的にしろマスを望洋している
流行通信に由良君美が連載し始めたのも その頃だったように思う
それから マリークレール等の雑誌と劇画の時代となった

そして ロラン・バルトである
その時既に レヴィ・ストロースや
―青い狐―マルセル・グリオール ジェルメーヌ・ディルラン供書
文化人類学者たちの本を齧り なんといっても カール・グスタフ・ユンクの
アーキタイプを知っていた
ぼくたちは面白いようにいい加減な分析が出来た
やがて バルトは―快楽のテクスト―を表し 
僕たちのような稚拙で方法論を欠いた未秩序で虎の威を借りた 
エピゴーネンたちを批判した
そして 丸山圭三郎によってランガージュの深遠さを覗かされた時だった
ぼくはフォンタナに実際に触れたのだった
―白い切り裂かれたキャンパス― 
人は一見関係のないように思われる事に 打たれる事がままあるというが
その時 ぼくにとってそれは空間と言う概念の新たな啓示だった

神話的=神学的上昇とは無縁の―いま―という空間
スリットの向こうの風景―いま―という 複数性と重層性あるいは多島海性
視線の蓋然性に圧倒され 途方に暮れる思いがした
―シュールの思想―を上梓し終えた丸山圭三郎の授業は 確信に満ちていたが
家に帰って例えば 恣意性と関係性についてノートを整理していると
授業で力強く導かれていたにもかかわらず どうしようもなく途方に暮れた
いまこうして フォンタナの衝撃と多島性とその視線の蓋然性について
思いをよせていると 先生のホモ・ファベールしか見る事がなかったぼくは
死を前にしていた―ホモ・モルタリス―の必然が見えてくる

ぼくはこのように フォンタナに視線という空間を啓示された
そして まだ学生のぼくを 軽井沢の高輪美術館にフォンタナが
来ているからと 連れ出したのが 後で師匠となる人達だった
ぼくは 幸福なリレーションの中にいたと思う
そして ずっと一緒だった ありがたく思う

2007.07.14

小島祐二

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2007年07月14日 13:43に投稿されたエントリーのページです。

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