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第23回 ――で、犬のはなし ―犬になれないのが 悲しい

むかしよく詩をよんだ
“ 未来に老いる“というフレーズが好きだった
学生時代必要にかられてフランソワ・ヴィヨンからマラルメまで読んだが 
ぼくは その後のとりわけフランシス・ポンジュや イブ・ボヌフォアの 詩には
強く魅せられて ヴァレリーやボードレールにはないなんと言えば良いのか
あこがれのようなものを感じた
象徴派の詩と言えば埴谷雄高の随想集に鋭い指摘があって 西脇順三郎を読み返して
ポンジュやボヌフォアに傾倒した

ポンジュの―物の味方―を捩って イジドール・デュカスのロートレアモン伯
よろしくG・ T ・ディ・ランペドーサ=ポンジュのペンネームで
ピース・ユニックのまゆりの絵に詩をつけた
ランペドーサは公爵だったので ロートレアモンより偉い

ついでに ルキノ・ヴィスコンティーの映画は岩波ホールでまゆりと見たが
小説―山猫―は読んでいない
ちなみに ヴィスコンティー家も公爵家でミラノにお城が残っている
―熊座の淡き輝き―のクラウディア・カルディナーレは
ヴィスコンティー作品の中で最も美しいが
その伝統の中に自らを埋めことでしか 新しい時代にその形式を残しえないと
淡々と生きる統一前の老貴族を描いた―山猫―と現代を描いた―家族の肖像―
を比べてほしい
ドミニク・サンダもクラウディアに匹敵するほど美しい 余写らないが
パラダイムが転換する時や死を前にした老いの美しさとは 
このようにありたいと思う

ボヌフォアは院に進んで大学に残った友人と語った
未だ存命で絵画論を時々発表している
―今、ここに―という現前性にことば以上のものを感じてきた
ポンジュの―物の味方―は世界を構築し ボヌフォアの―今、ここに―は
決心と諦めのうちに勇気を呼び起こす
カフカの―世界と君の戦いでは、世界に支援せよ―をようやく理解する と

ボヌフォアの言う―今、ここに―にまさしくさらに強く ぼくの犬たちとの生活がある
彼らは 今を生きて 未来に老いることもなく 淡々とその生を受け入れる
今を喜び また悲しむ うらやましいと思う
できることなら そのようにそのまま触れることができたらと思う
ヨーロッパの街角で出会うホームレスの犬たちの なんと満ち足りて 物静かなことか

2007/8/10

小島祐二

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2007年08月10日 13:45に投稿されたエントリーのページです。

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