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第24回 父の傍らで寝る

マグリット・デュラスは 70 歳を過ぎて 
― 18 歳の頃わたしは既に老いていた、、、、、、―
という書き出しから始まる小説を脱稿しているが 
人はいつから老いを感じるのだろうか
体力だけでいうなら スポーツクラブのプールの中央レーンを独占して
インターバルを繰り返し 戻しそうになりながらマスターズの記録会に備えたが
どうしても中学の記録には遥かに及ばなかった
また 固有名詞が思い通りに出てこないとか 
子供たちの名がコンフィューズしてしまうとか
ぼくはイプーといいたいのだけれど キーツとヴィヨンと口にしなければならない時があるが
そのようなものは いくらでも理由が付けられる
が かつて感じた小学生の頃の通学路を歩いた その道幅や側溝の狭さへの驚きと
成長への自負は いつしか 父の背中や母の胸の小ささの気遣いに取って代わっている
老いもまた空間として認知するものだという事か
思春期を過ぎて感じていたその自負も その時は既に胸腺は萎縮し始めていたというのに
この空間としての老いは絶対的空間として 諦めを強いる
しかし これくらいのものはまだいい
大丈夫だと思う
この老いもまた成長していくらしい

父がそうしていたように 出来るだけではあるが
3年ほど前から月に一度は両親に会うようにしている

最近母が日常の体調を保てなくなる期間が 短くなってきて以前のように
退院を待って帰省し辛くなってきたので母の入院中に帰省が重なる事もあるようになってきた
そして 母のベットで父の横で寝た

2007/8/25

小島祐二

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2007年08月25日 13:45に投稿されたエントリーのページです。

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